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第 9 章 ・ 症状

痛み以外の苦痛

まず治療できる病態を探す/呼吸困難/消化管閉塞/せん妄と不眠/食欲不振と悪液質。

緩和ケアで呼ばれる訴えは、痛みだけではありません。むしろ呼吸困難とせん妄のほうが、家族にとってつらく見えます。この章は症状ごとに並べますが、入口はどれも同じで、原因の側に手が届かないかを先に確かめるところから始まります。
§ 1

症状の名前で薬を選ばない

訴えの名前だけで薬を決めると、外します。呼吸困難だからモルヒネ、せん妄だから抗精神病薬、では届きません。

治療できる原因があるなら、それを治すことが最大の緩和

第1章 §3 で置いた原則が、この章では毎回登場します。症状を薬で抑えにかかる前に、原因の側に手が届かないかを確かめます。届くなら、そちらが本命です。

症状先に探す、治療できる原因
呼吸困難胸水、心嚢液、肺炎、貧血、肺塞栓、気道閉塞、心不全、慢性呼吸器疾患の増悪、薬剤性肺障害
嘔気・嘔吐便秘、消化管閉塞、高カルシウム血症、脳転移、薬剤
せん妄薬剤、脱水、尿閉、便秘、痛み、感染、高カルシウム血症、低ナトリウム血症、低血糖、低酸素、肝性脳症、脳転移、癌性髄膜炎
食欲不振口腔カンジダ、義歯不適合、便秘、嘔気、うつ、味覚障害、薬剤
症状緩和と原因治療は、どちらか一方を選ぶものではありません。両方を同時に走らせます。胸水を抜く手配をしながらモルヒネで楽にする、というのが実際の動き方です。原因治療の効果が出るまでの時間を、症状緩和で埋めます。
§ 2

呼吸困難

呼吸困難は本人の感じ方です。酸素飽和度が保たれていても苦しいことがあり、逆に低くても本人は平気なことがあります。数字で否定しないこと。

まず治療できる病態を探します。胸水なら穿刺、貧血なら輸血、肺炎なら抗菌薬、心不全なら利尿薬。それが効けば、どんな薬より確実に楽になります。心不全の終末期については心不全診療ノート 第8章、酸素療法そのものの考え方は酸素療法・人工呼吸器ノートにあります。
使いどころ注意
原因への治療上記が見つかったときいちばん効く。効くまでの時間を薬で埋める
酸素低酸素血症があるとき低酸素でない呼吸困難に、酸素が効くとは限らない
送風すべての患者に試してよい顔に風を当てる。扇風機や窓。薬より先に試せる
モルヒネ原因治療で取りきれない呼吸困難少量から。鎮痛のときより少ない量で効く増やし続けても呼吸困難の改善は頭打ちになる
ベンゾジアゼピン不安が強く絡んでいるとき単独ではなく、オピオイドに足す形で
ステロイド癌性リンパ管症、上大静脈症候群、気道の狭窄効く相手が決まっている。漫然と続けない

出典:日本緩和医療学会『進行性疾患患者の呼吸困難の緩和に関する診療ガイドライン 2023年版』

呼吸困難に対するモルヒネには、頭打ちがあります。第3章で、鎮痛においてオピオイドには天井効果が無いと書きました。呼吸困難では話が別です。比較的少量で効果が現れ、そこから増やしても呼吸困難の改善は伸びません。
増やしたぶんは、呼吸困難の緩和ではなく鎮静として出ます。眠って訴えなくなったことを、効いたと読み違えないでください。
使ったら本人に効いたかどうかを聞きます。はっきりした効果が得られないまま増やし続けるのは、この症状では正しい手ではありません。取れないなら、原因の側と、不安や環境の側にもう一度戻ります。
非がんの呼吸困難も同じ入口です。心不全、慢性呼吸器疾患、神経難病。原因への治療がそのまま緩和になる度合いは、むしろがんより大きい。薬物療法の根拠はがん患者で作られているものが多いため、非がんで使うときは適応と施設の方針を確かめます。

家族への説明も、この症状では治療の一部です。苦しそうに見える呼吸が、本人はつらくないこともあります。逆に、本人がつらいと言っているのに数字が正常だからと流されると、信頼が失われます。見えているものと本人の訴えを、両方言葉にして共有します。

§ 3

嘔気と消化管閉塞

オピオイドによる嘔気は第6章で扱いました。ここでは消化管閉塞を見ます。腹膜播種のある患者では珍しくなく、対応が根本的に違います。

疑う所見やること
嘔吐、腹部膨満、排ガス停止、金属音、疝痛画像で確かめる。手術やステントの適応があるかを外科と検討する
閉塞が確からしい刺激性下剤とナルデメジンを使わない(第6章 §1)。腸管を動かすと痛みが増し、穿孔のおそれもある
症状を抑える分泌を減らす薬、ステロイド、鎮痙薬、制吐薬。経鼻胃管や胃瘻による減圧も選択肢
痛みは続くオピオイドは続ける。飲めないので経路を変える(第8章)
閉塞のときに消化管の動きを促す制吐薬を選ばないこと。疝痛を悪化させます。制吐薬は「気持ち悪いから出す」のではなく、原因の見立てに合わせて選びます

完全閉塞でなければ、食べられる範囲で食べてよいという判断もあります。何をどこまで許すかは外科と相談し、本人と家族に同じ説明が届くようにします。食べられないことは、本人より家族がつらいことがあります。

§ 4

せん妄と不眠

せん妄は、家族がいちばん動揺する症状です。意思疎通ができていた人が、急にできなくなるためです。まずやるのは原因探しで、薬はそのあとです。

癌性髄膜炎を鑑別から落とさないでください。頭痛、嘔気、脳神経症状、髄膜刺激徴候、多発する神経症状。画像で腫瘤が見えなくても起こります。つじつまが合わない患者で、他の原因が説明にならないときに思い出す診断です。
段階やること
1原因を探す。薬剤・脱水・尿閉・便秘・痛み・感染・高カルシウム血症・低ナトリウム血症・低血糖・低酸素・肝性脳症・脳転移・癌性髄膜炎
2環境を整える。昼夜のめりはり、時計とカレンダー、眼鏡と補聴器、家族がそばにいること、不要なルートを抜く
3それでも本人が苦しい、危険が伴うときに薬を使う

薬はハロペリドール、クエチアピン、リスペリドン、オランザピンなどが使われます。糖尿病では使えない薬があります。不眠に対してはラメルテオン、スボレキサント、レンボレキサントが選ばれることが多く、ベンゾジアゼピン系はせん妄を悪化させることがあるため慎重に扱います。用量は薬から引くリファレンスにまとめてあります。

「落ち着かない」で呼ばれたら、腹部を触って膀胱を確かめてください。尿閉は見落とされやすく、導尿ひとつで消えるせん妄があります。便秘も同じです。薬を足す前に、抜けるものが無いかを見ます。
§ 5

食欲不振と悪液質

がんの進行に伴う体重減少と食欲不振は、食べられないから痩せるのとは違います。炎症を背景に筋肉が落ちていく状態で、栄養を入れれば元に戻る飢餓とは区別されます。これを悪液質と呼びます。

ここを取り違えると、家族を追い詰めます。「食べないから痩せる」と考えると、食べさせようとする努力が続き、うまくいかないことが本人と家族の負担になります。食べられないことが原因ではなく結果でもあるという説明が要ります。栄養評価そのものは栄養管理ノートにあります。

まず、治療できる食欲不振を外します。口腔カンジダ、義歯が合わない、便秘、嘔気、うつ、味覚障害、薬剤。口の中を見るだけで見つかるものがあります。

薬としてはアナモレリンがあります。がん悪液質に対する内服薬ですが、使える相手が細かく決まっています。

アナモレリンで押さえること
適応非小細胞肺癌・胃癌・膵癌・大腸癌のがん悪液質に限られる
対象体重減少と食欲不振があり、定められた基準を満たす患者。栄養療法・運動療法と併せて行う
飲み方空腹時に1日1回。服用後しばらく食事をしない
効果判定投与開始3週後を目途に判定し、体重増加も食欲改善もなければ原則中止
禁忌うっ血性心不全、心筋梗塞・狭心症、高度の刺激伝導系障害、特定の薬剤との併用、中等度以上の肝機能障害、消化管閉塞などによる経口摂取困難
監視心電図血糖を定期的に測る
禁忌に心疾患が並んでいることを覚えておいてください。高齢のがん患者では心疾患の合併が珍しくなく、使えない患者のほうが多い場面もあります。3週で判定して中止するという区切りも、この薬の特徴です。用量と基準の詳細は薬から引くリファレンスにあります。

ステロイドで一時的に食欲が出ることがありますが、効果は長続きせず、高血糖・不眠・せん妄・易感染が積み上がります。いつまで使うかを決めてから始めます。終末期の輸液をどうするかは第10章で扱います。

§ 6

症例で確認

70歳男性。肺腺癌、胸膜播種。予後は月単位と見込まれている。
2日前から息苦しさが強まり、夜間に眠れない。
SpO₂ 93%(室内気)、呼吸数 24/分、体温 36.8℃。右下肺野の呼吸音が減弱し、打診で濁音。
胸部X線で右胸水の増加。前回より明らかに増えている。
Hb 10.8、心不全を示す所見はない。
オキシコドン徐放錠 20mg/日 分2 を内服中で、痛みは落ち着いている
研修医は「呼吸困難にはモルヒネと習ったので、オキシコドンをモルヒネに変えようか」と考えている。

今日何をするかを考えてください。

1最初にやることは何か
薬の話の前に、治療できる病態があります。右胸水が明らかに増えており、呼吸音の減弱と打診の濁音が一致しています。
胸水を抜く → これがいちばん確実に楽になる手
穿刺の適応と安全性を確かめ、呼吸器内科と相談します。薬で抑えるより先に、原因の側に手が届きます(§1)。
並行して送風を試します。顔に風を当てるだけで楽になることがあり、今すぐできて害がありません。
Hb 10.8 の貧血も呼吸困難に効いていますが、この場面での主役は胸水です。
2モルヒネに変えるべきか
今日変える必要はありません。痛みは落ち着いており、変える理由が「呼吸困難にはモルヒネ」という知識だけだからです。
成分を変えれば換算の誤差と交差耐性の問題が乗り、安定していた鎮痛が崩れることがあります(第8章 §2)。変える要素は一度にひとつです。
胸水を抜いても呼吸困難が残るなら、そのときに呼吸困難に対する薬物療法を考えます。順番が逆になっていないかを確かめてください。
酸素についても、SpO₂ 93% で低酸素血症が主体とは言いにくく、酸素を足せば楽になるとは限りません(§2)。
3夜眠れないことにどう応じるか
眠れない理由が呼吸困難なら、呼吸困難への対応が睡眠への対応でもあります。睡眠薬を先に足しても解決しません。
加えて、息が苦しいことへの不安が乗っているかを聞きます。夜になると強まる、ひとりになると強まるという形なら、不安の要素があります。この場合はオピオイドだけでなく、抗不安薬を足す判断が出てきます(§2)。
家族への説明も要ります。呼吸が速く見えることと、本人がどれだけつらいかは別だと伝えておくと、夜間の混乱が減ります。
今日の順番  1 胸水穿刺の適応を検討し、手配する  2 送風を今すぐ試す  3 オピオイドは変えない。痛みは安定している  4 抜いたあとに残る呼吸困難を評価してから、薬を考える  5 不安の要素と家族への説明を並行して
治療できる病態(胸水)が見つかっているので、そこに手を打つのが最大の緩和。送風はすぐ試す。オピオイドの成分変更は今日やらない。
この章の持ち帰りは、症状の名前で薬を選ばないことです。呼吸困難にモルヒネという対応は、原因への手を尽くしたあとに来ます。
この章の要点
次のステップ
第10章:看取りの数日と当直の判断予後の徴候/輸液と死前喘鳴/鎮静の要件/家族への説明 講義一覧に戻る章の一覧
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