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第 1 章 ・ 酸素療法

酸素療法の基礎

なぜ酸素を投与するのか/解離曲線/目標SpO₂/高濃度酸素の害。酸素を「薬」として扱うための土台。

酸素は当直でいちばん気軽に開始される治療ですが、投与量にも目標値にも根拠があり、多すぎれば害になる薬剤です。計算はほとんど出てきません。酸素は何のために投与するのか、どこまで上げれば十分か、上げすぎると何が起きるかを押さえます。第2章以降のデバイス選択・人工呼吸管理は、すべてここが土台になります。
§ 1

酸素投与のゴールは SpO₂ を上げることではない

酸素療法の本当の目的は、組織に十分な酸素を届けること(酸素運搬能の維持)です。SpO₂ はその一部を示す指標にすぎません。

DO₂(酸素運搬量) = 心拍出量 × CaO₂ × 10 CaO₂(動脈血酸素含量) = 1.34 × Hb × SaO₂ + 0.003 × PaO₂ ↑ヘモグロビン結合分 ↑溶存分(ごくわずか)

この式が教えてくれるのは、酸素の運搬量を決めているのは主にHb と SaO₂ と心拍出量だということです。

だから:SpO₂ 88% の患者で酸素を増やす前に、出血していないか・心拍出量は保たれているか・末梢は冷たくないかを同時に考えます。酸素だけを追いかけないでください。
§ 2

SpO₂ 90% は酸素解離曲線の崖の上

PaO₂ と SaO₂ の関係は直線ではなく S 字カーブです。この形を知っているかどうかで、モニターの数字の重みが変わります。

0 27 60 80 100 PaO₂(mmHg) 0 50 90 100 SaO₂(%) ← ここから急降下 この先は平坦 P50 = 27

SpO₂ 90%(PaO₂ 60 mmHg)を下回ると、わずかな PaO₂ の低下で SaO₂ が急落する

SaO₂対応する PaO₂ の目安
97〜98%約 100 mmHg
95%約 80 mmHg
90%60 mmHg ← 呼吸不全の境界
75%約 40 mmHg(混合静脈血の値)
50%約 27 mmHg(P50)
臨床的な意味:SpO₂ 98% → 94% の低下はほとんど問題になりませんが、92% → 88% の低下は PaO₂ が大きく崩れたことを意味します。同じ4%の低下でも重みがまったく違います。

曲線が右へ/左へずれるとき

方向起きること要因
右方移動Hb が酸素を手放しやすい(末梢で有利)アシドーシス・PaCO₂↑・発熱・2,3-DPG↑
左方移動Hb が酸素を離さない(末梢で不利)アルカローシス・PaCO₂↓・低体温・CO中毒
CO中毒では SpO₂ が当てになりません。パルスオキシメータは COHb を酸素化Hb と誤認するため、実際は組織が低酸素でも SpO₂ 98% などと表示されます。疑ったら CO-オキシメータ(血液ガスでの COHb 測定)が必要です。
§ 3

目標 SpO₂ をどこに置くか

とりあえず 100% を目指す、は誤りです。多くのガイドラインは患者を2群に分けて目標を設定します。

患者群目標 SpO₂考え方
一般の急性疾患
肺炎・心不全・敗血症など
94 〜 98%これ以上は利益がなく、害の可能性がある
CO₂ 貯留リスクあり
COPD・高度肥満低換気・神経筋疾患・胸郭変形
88 〜 92%CO₂ ナルコーシスを避けるため意図的に低めに

CO₂ 貯留リスクありと判断する材料は、既往(COPD・在宅酸素)と、血液ガスの HCO₃⁻ 上昇です。慢性的に CO₂ を溜めている人は、代償として HCO₃⁻ が高くなっています(血液ガス判読ノート 第3章「代償の評価」)。

覚え方:知らない患者にはまず 94〜98%。ただし COPD らしさ・HCO₃⁻ 高値を見たら 88〜92% に切り替える。
目標を 88〜92% に設定した場合でも、心停止・重症外傷・ショックなどの蘇生の初期では高濃度酸素で開始します。落ち着いてから目標域まで下げていく、という順序です。
§ 4

高濃度酸素は多いほど安全ではない

必要以上の酸素投与(高酸素血症)は、次のような不利益をもたらします。

機序
吸収性無気肺高 FiO₂ で肺胞内の窒素が洗い出され、酸素が血中に吸収されると肺胞が虚脱する
酸素毒性活性酸素種による肺胞上皮障害。目安として FiO₂ >0.6 の長時間持続で懸念される
CO₂ ナルコーシス次の §5 で詳述。CO₂ 貯留リスク群で重要
血管収縮冠動脈・脳血管が収縮し、心筋梗塞・脳卒中では不利に働き得る
病態の隠蔽高 FiO₂ で SpO₂ が保たれると、悪化しつつある酸素化障害に気づくのが遅れる
基本方針:目標 SpO₂ に達したら FiO₂ は下げていく。SpO₂ 100% が続いているのは、酸素を減らすべきというサインです。
§ 5

CO₂ ナルコーシスを3つの機序で理解する

慢性Ⅱ型呼吸不全(COPD など)の患者に高濃度酸素を投与すると PaCO₂ が上昇し、意識障害に至ることがあります。低酸素の刺激で呼吸していたのが止まるから、とだけ覚えている人が多いのですが、実際には3つの機序が重なっています。

  1. V/Q ミスマッチの悪化(最も寄与が大きい)
    換気の悪い肺胞では低酸素性肺血管攣縮(HPV)が起き、血流を換気の良い領域へ回しています。高濃度酸素はこの攣縮を解除するため、換気されない領域へ血流が戻り、死腔換気が増えて CO₂ が排出できなくなります。
  2. Haldane 効果
    酸素化されたヘモグロビンは CO₂ を保持しにくくなります。その結果、組織から運んできた CO₂ が血漿中に放出され、PaCO₂ が上昇します。
  3. 呼吸ドライブの低下
    慢性の高 CO₂ 血症では化学受容体の CO₂ 感受性が鈍っており、低酸素刺激が呼吸の駆動に寄与しています。酸素投与でこの刺激が減ると分時換気量が下がります(従来の説明ですが、寄与は①②より小さいとされます)。
実際の対応:CO₂ ナルコーシスを疑ったら、慌てて酸素を完全に切ってはいけません。急な酸素中断は重篤な低酸素血症を招きます。SpO₂ 88〜92% を保てる最小限まで下げること+換気を助けること(NPPV)が正解です(第5章)。
§ 6

症例で確認

76歳男性、COPD で在宅酸素(鼻カヌラ 1L/分)。喀痰増加と呼吸困難で救急搬送。来院時 SpO₂ 82%、呼吸数 28回/分、意識清明。リザーバーマスク 10L/分を開始し SpO₂ 99% となった。1時間後、呼びかけへの反応が鈍くなった。
pH 7.18 / PaCO₂ 92 / HCO₃⁻ 34 / PaO₂ 148
1血液ガスを読む
pH 7.18 → 高度アシデミア。PaCO₂ 92↑ は pH と逆方向 → 呼吸性アシドーシス。HCO₃⁻ 34↑ は代償。
急性の呼吸性アシドーシスなら PaCO₂ が 10 上がるごとに HCO₃⁻ は約1しか上がりません(正常24 → 47の上昇分でも 28〜29 程度)。HCO₃⁻ 34 は、もともと慢性的に CO₂ を溜めていた証拠です。つまり慢性Ⅱ型呼吸不全の急性増悪。
2なぜ悪化したのか
来院時の SpO₂ 82% は確かに低いですが、この患者の目標は 88〜92% です。リザーバー 10L/分は明らかに過剰で、PaO₂ 148 まで上がっていました。
その結果、§5 の①〜③(HPV 解除による死腔増加・Haldane 効果・呼吸ドライブ低下)が重なり、PaCO₂ が 92 まで上昇して CO₂ ナルコーシスに至りました。SpO₂ が良くなったから安心、という判断が誤りだった症例です。
3どうすべきだったか
初期対応として、まずベンチュリーマスクで FiO₂ を確実に管理し(第2章)、SpO₂ 88〜92% を目標に最小限の酸素とする。同時に COPD 増悪の治療(気管支拡張薬・ステロイド・必要なら抗菌薬)を行う。
すでに pH 7.18/PaCO₂ 92 の現時点では酸素を絞るだけでは不十分で、換気そのものを助ける必要があります
✅ 酸素は SpO₂ 88〜92% を保てる最小限に減量し、NPPV(BiPAP)を直ちに導入。COPD 増悪+呼吸性アシドーシス(pH <7.35)は NPPV のよい適応です。改善しなければ気管挿管を検討します。
この章の要点
次のステップ
第2章:酸素投与デバイスの選び方カヌラ・マスク・ベンチュリー・リザーバー・NHF 血液ガス判読ノート 第7章A-aDO₂ と P/F 比 ― 酸素化の評価に戻る
免責事項:本コンテンツは医療従事者の学習・参考を目的としたものであり、医療機器ではありません。記載の数値・設定は一般的な目安であり、実際の診療は各施設のプロトコルと患者の病態に従ってください。診断・治療の最終判断は必ず担当医師が行ってください。