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第 1 章 ・ 基礎

心不全とは

心不全は病名ではなく症候群/うっ血と低灌流という2つの軸/LVEFによる分類/ステージとNYHAの決定的な違い。すべての章の土台。

心不全でつまずく人の多くは、EF という1つの数字に判断を預けようとします。しかし EF が語るのは「収縮の強さ」だけで、患者が今溺れているのか末梢に血が届いていないのかは何も教えてくれません。計算らしい計算は出てきません。以降の章が乗る共通の地図を先に敷きます。
§ 1

心不全は病名ではなく症候群

心不全という名前の病気は存在しません。心不全は、さまざまな心疾患の行き着いた先に現れる状態であり、症状と徴候の集合体――すなわち症候群です。

2025年に全面改訂された『心不全診療ガイドライン』は、国際的なユニバーサル定義に準拠して、心不全をおおよそ次のようにとらえています。

出典:日本循環器学会/日本心不全学会『2025年改訂版 心不全診療ガイドライン』2025年3月.

心臓の構造的・機能的な異常によって
症状・徴候が生じ、
かつ客観的な裏づけがあるもの客観的な裏づけ=ナトリウム利尿ペプチド(BNP/NT-proBNP)の上昇、または肺・体うっ血の証拠

症状だけでも、客観的な裏づけだけでも心不全とは言えません。息切れは貧血でも肺疾患でも出ますし、BNP は腎不全や心房細動でも上がります。両方が揃って初めて心不全です。

診断がついたら、必ずもう一段掘ってください。「心不全」は到達点の名前であって、原因の名前ではありません。虚血なのか、弁膜症なのか、心筋症なのか、頻脈なのか。原因が治せるものなら、そこを治すのが最も効きます。この「原因を必ず問う」姿勢は第2章で具体化します。
§ 2

うっ血と低灌流の2軸

心臓がポンプとして力不足になると、困ることは2つだけです。

心不全の症状・徴候は、ほぼすべてこのどちらかに分類できます。そしてこの2つは独立して存在します。うっ血だけの患者もいれば、うっ血と低灌流が同時に起きている患者もいます。だからこそ、片方だけを見ていると治療を誤ります

うっ血(wet)の所見
  • 左心系(肺に溜まる)
  • 労作時呼吸困難
  • 起坐呼吸
  • 発作性夜間呼吸困難
  • 湿性ラ音
  • 右心系(全身に溜まる)
  • 頸静脈怒張
  • 下腿浮腫
  • 肝腫大・腹水
  • 体重増加
低灌流(cold)の所見
  • 四肢の冷感
  • 脈圧の狭小化
  • 傾眠・意識レベル低下
  • 乏尿
  • 低ナトリウム血症
  • 乳酸値の上昇
  • 肝機能・腎機能の悪化
低灌流は見落とされやすい軸です。うっ血は浮腫や呼吸困難として目に飛び込んできますが、低灌流は「なんとなく元気がない」「少しぼんやりしている」「尿が出ていない」といった地味な形で現れます。血圧が保たれていても低灌流は起こりえます(末梢血管が収縮して血圧を維持しているため)。だから血圧だけで判断せず、手を握り、脈圧を見て、尿量を確認する

この2軸を組み合わせると、患者を4つの型に分けられます。これが第3章で扱う Nohria 分類 であり、急性期の治療方針はほぼこの4分類から決まります。

本シリーズが繰り返し戻ってくる背骨は、この一文です。
「EF の数字ではなく、うっ血と灌流の2軸で患者を置く」
§ 3

LVEF で分けるのは治療を選ぶため

左室駆出率(LVEF)は「1回の収縮で、左室の中の血液の何%を送り出せたか」を表します。EF は診断の道具ではありません。測るのは治療のエビデンスが EF ごとに違うからです。

分類LVEF臨床的な位置づけ
HFrEF
収縮不全
≦ 40 %予後を改善する薬のエビデンスが最も豊富。4本柱(第5章)の主戦場
HFmrEF
軽度低下
41 〜 49 %中間群。おおむね HFrEF に準じた治療が考慮される
HFpEF
駆出率が保たれた心不全
≧ 50 %心不全のおよそ半数。高齢・女性・高血圧・心房細動・肥満が背景に多い(第7章)
HFimpEF
回復した心不全
もと HFrEF(≦40%)が 40% を超えて改善し、かつ 10 ポイント以上向上したもの
HFimpEF は、良くなっても薬をやめない。
EF が回復すると「治った」と感じますが、回復は薬が効いている状態であって、病気が消えたわけではありません。治療を中止すると相当な割合で再び EF が低下し、心不全が再燃することが知られています。EF が戻ったことは、治療を続ける理由であって、やめる理由ではありません。
EF は分類の道具であって、診断の道具ではありません。冒頭の症例(EF 62% で帰宅させた82歳)が示すとおり、EF が正常でも心不全は起こります。診断は症状+うっ血の証拠で行い、EF はそのあと治療を選ぶために測ります。順番を逆にしないでください。
§ 4

ステージ分類 A〜D

ステージ分類は、心不全を発症する前からとらえる枠組みです。2025年版ではこの前半(ステージ A・B)の記載が大きく充実しました。心不全は治療するより予防するほうが効く、という発想の転換です。

ステージ状態この段階ですべきこと
A
リスク段階
心疾患なし・症状なし。
危険因子だけがある
高血圧・糖尿病・CKD・肥満・心毒性薬剤・心筋症の家族歴
危険因子の管理。
2025年版で CKD が危険因子に追加された
B
前心不全(pre-HF)
構造的・機能的な心疾患あり。
症状はまだない
心筋梗塞の既往・左室肥大・EF低下・弁膜症・BNP上昇
症候性心不全への進展予防
この段階での介入が最も費用対効果が高い
C
症候性心不全
心疾患があり、症状・徴候が出現した
一度でも症状が出たことがあれば、現在無症状でもC
4本柱+うっ血の管理
(第4章・第5章)
D
治療抵抗性
適切な治療にもかかわらず
症状が持続・再入院を繰り返す
補助循環・移植の検討、
並行して緩和ケア・意思決定支援(第8章)
ステージは、原則として後戻りしない症状が完全に消えても、一度ステージ C になった患者は C のままです。
良くなったから B に戻る、とは考えません。

この非可逆性は治療を継続する根拠そのものです。症状が消えたのは薬が効いているからであって、心臓が元に戻ったからではない――ステージ分類はそのことを常に思い出させてくれます。

§ 5

NYHA はステージと別の物差し

NYHA 心機能分類は、今この瞬間、どれくらい動けるかを表す指標です。ステージとはまったく別の物差しなので、混同しないでください。

NYHA身体活動の制限具体例の目安
I 度制限なし通常の労作で症状が出ない
II 度軽度の制限通常の労作(階段を1階分など)で息切れ
III 度高度の制限通常以下の労作(平地歩行・着替えなど)で症状
IV 度あらゆる身体活動が困難安静時にも症状がある
ステージ A〜D
後戻りしない
病気がどこまで進んだかを示す。治療方針の骨格を決める。
NYHA I〜IV
行き来する
今の症状の重さを示す。治療の効果判定に使う。
ステージ C・NYHA I 度は、治療がうまくいっている理想的な状態です。心不全で入院した患者が、利尿薬と4本柱で無症状になって退院する――このとき NYHA は IV から I に戻りますが、ステージは C のままで、薬は続けます。この2つを分けて考えられるようになると、「良くなったのになぜ薬を飲み続けるのか」という患者さんの疑問にも、はっきり答えられるようになります。
§ 6

症例で確認

68歳男性。3年前に前壁心筋梗塞を発症。当時の心エコーで LVEF 32% であり、HFrEF として4本柱を導入された。
導入後は増悪なく経過し、現在は無症状。階段を2階分昇っても息切れはない。
本日の外来での心エコーで LVEF 48% と報告された。
研修医から「EF も改善して症状もないので、そろそろ薬を減らしてよいでしょうか」と相談があった。
1LVEF で分類するとどうなるか
今の数字だけを見れば 48% は HFmrEF(41〜49%)の範囲です。しかし、それはこの患者の正しい分類ではありません
経過を見てください。
もとの LVEF : 32 %(≦40% → HFrEF) 現在の LVEF : 48 %(40% を超えた) 改善幅    : 48 − 32 = 16 ポイント(≧10)
2つの条件(40%超へ改善・10ポイント以上の向上)をどちらも満たすので、この患者は HFimpEF=回復した心不全です。
今の EF だけで分類すると誤ります。心不全の分類には経過が要ります。
2ステージと NYHA はどうなるか
NYHA は I 度です。階段2階分で症状がないので、身体活動の制限はありません。
ではステージは? 心筋梗塞という構造的心疾患があり、かつ過去に心不全の症状を呈しています。ステージは後戻りしないので、ステージ C のままです。
ステージ C(後戻りしない) + NYHA I 度(今は無症状)
この組み合わせは矛盾ではなく、治療が効いている証拠です。
3では、薬は減らしてよいか
減らしません。研修医の問いは「EF が改善した=心臓が治った」という前提に立っていますが、この前提が誤りです。
EF が改善したのは4本柱が効いているからであって、心筋梗塞で失われた心筋が再生したからではありません。ここで薬を中止すると、相当な割合で EF は再び低下し、心不全が再燃することが知られています。
HFimpEF は治癒ではなく、良好にコントロールされた心不全です。
HFimpEF(もと HFrEF)・ステージ C・NYHA I 度。治療は継続する。
EF が戻ったことは、治療をやめる理由ではなく続ける理由。分類は今の数字ではなく、経過で決まる。
この章の要点
次のステップ
第2章:疑う・診断する身体所見の使い方/BNP・NT-proBNP の落とし穴/心エコーで何を見るか 講義一覧に戻る章の一覧
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