胸痛の患者で心電図を撮る目的は、今すぐカテーテル室へ運ぶ人を見つけること です。ST が明らかに上がっていれば誰でも気づきます。問題は、ST が上がっていないのに閉塞している 症例と、上がっているように見えて閉塞していない 症例です。その両方を仕分けます。
§ 1
虚血の心電図は時間とともに動く
冠動脈が閉塞してからの心電図変化には順序があります。1枚の心電図は、この動画の1コマにすぎません。
① 超急性期
T 波増高・尖鋭化
② 急性期
ST 上昇(凸型)
③ 亜急性期以降
異常 Q 波・陰性 T
1枚で分からなければ、時間を空けてもう1枚胸痛が続いているのに初回心電図が正常なら、15〜30分後に再検 する。変化したかどうかが最大の情報になる。
§ 3
誘導から責任血管を推定する
第1章の誘導と壁の対応が、ここで直接役に立ちます。ST が上がっている誘導のまとまり が、詰まっている血管を教えてくれます。
下壁梗塞を見たら、条件反射で2つ追加します。 ① 右側胸部誘導(V3R・V4R) で右室梗塞を確認、② 血圧と徐脈 の評価(RCA は洞結節・房室結節を養うため、徐脈や房室ブロックを伴いやすい/第5章)。この2つを習慣にするだけで、危険な取り違えを大きく減らせます。
§ 4
対側性変化(reciprocal change)
心臓のある壁で ST が上がると、反対側から見ている誘導では ST が下がって見えます 。同じ現象を裏から見ているだけです。
対側性変化があれば、その ST 上昇は本物らしい逆に、全誘導でびまん性に ST が上がり、対側性変化がない なら、心膜炎や早期再分極を考える。
迷ったら STEMI として扱ってください。 心膜炎だと思って再灌流の機会を逃す損失は、STEMI を疑って循環器に相談する手間よりはるかに大きい。鑑別に自信が持てないことは、コンサルトしない理由になりません。
§ 5
ST が上がらない虚血、見逃してはいけない4つ
ST 上昇がないから STEMI ではない、で終わらせると、閉塞しているのに再灌流されない患者 が生まれます。以下は代表的な落とし穴です。
① 後壁梗塞
後壁を直接見ている誘導は12誘導にありません。そのため V1〜V3 に鏡像として現れます 。
V1〜V3 の ST 低下 (=後壁の ST 上昇の裏返し)
V1〜V2 の高い R 波 (R > S)(=後壁の異常 Q 波の裏返し)
V1〜V3 の陽性 T 波
V1〜V3 の ST 低下を見たら、それを前壁の虚血と決めつけずに V7・V8・V9(背部の誘導)を追加してください。 そこで ST 上昇(≥ 0.5 mm)が確認できれば、後壁 STEMI = 再灌流の適応 です。
② de Winter T 波
胸部誘導で J 点の ST が上向きに低下(upsloping ST depression)し、そこから背の高い左右対称の T 波が立ち上がる パターン。ST は上がっていませんが、LAD 近位部閉塞に相当する所見 とされ、STEMI と同じ扱いをします。
③ Wellens 症候群
胸痛が消えている時期に 、V2・V3 を中心として 深く対称性に陰転した T 波 、または 二相性の T 波 が見られるもの。心筋逸脱酵素は正常か軽度上昇にとどまることもあります。
Wellens 症候群は、今は落ち着いているように見えるのが恐ろしい点です。 その実態は LAD 近位部の高度狭窄 であり、運動負荷試験は禁忌 とされます。広範前壁梗塞に発展しうるため、速やかに循環器へ紹介して冠動脈造影 を検討します。
④ 左脚ブロック(LBBB)に隠れる梗塞
LBBB があると心室の脱分極順序が変わり、もともと ST-T が二次的に変化しているため、虚血の判定が困難になります。Sgarbossa 基準 が補助に使われます。
Sgarbossa 基準(いずれかを満たせば梗塞を示唆)
① QRS と同じ向きの ST 上昇 ≥ 1 mm (concordant)
② V1〜V3 で QRS と同じ向きの ST 低下 ≥ 1 mm
③ QRS と逆向きの ST 上昇 ≥ 5 mm (excessively discordant)
※ ③ は特異度が低く、修正版では S 波の深さとの比で評価する
「新規の LBBB = 即 STEMI」という古い教え方は現在では修正されています。 ただし、虚血を疑う症状があり、新規または新規かどうか不明な LBBB がある 場合は、緊急性の高い状況として循環器に相談すべきです。判断を1人で抱えないでください。
出典:Sgarbossa EB, et al. Electrocardiographic diagnosis of evolving acute myocardial infarction in the presence of left bundle-branch block. N Engl J Med. 1996;334(8):481-487.
§ 6
右室梗塞は治療そのものが危険になる
下壁梗塞(とくに RCA 近位部閉塞)では、右室の梗塞を高頻度に合併 します。これを見落とすと、通常なら正しいはずの治療で患者を急変させます 。
診断:V3R・V4R で ST 上昇 ≥ 1 mm (V4R が最も感度が高い)
身体所見:低血圧+頸静脈怒張+肺野は清明 (この3徴が揃えば強く疑う)
右室梗塞では、硝酸薬・利尿薬・モルヒネで血圧が急落します。 障害された右室は自力で血液を送り出せず、前負荷(静脈還流)に強く依存 しています。前負荷を減らす薬を投与すると、左室に届く血液が途絶えて循環が破綻します。 → 治療は輸液で前負荷を保つこと 。生理食塩水などの細胞外液を負荷し、それでも血圧が保てなければ強心薬を検討します。もちろん再灌流療法が最優先 です。
下壁 STEMI に硝酸薬を使う前に、右室梗塞を否定する「胸痛だからニトロ」という反射が、最も危険な場面。
§ 7
症例で確認
64歳男性。1時間前からの締めつけられるような前胸部痛と冷汗 で救急搬送。既往に高血圧・喫煙 40 年。 来院時:血圧 104/68 、脈拍 52/分 、SpO₂ 97%(室内気)、意識清明。 心電図:II・III・aVF で ST 上昇 3 mm 。I・aVL で ST 低下 。 研修医が「下壁 STEMI ですね。胸痛が強いのでニトログリセリンを舌下投与します」と言ったところ、投与後まもなく血圧が 68/40 に低下 し、患者は冷汗を強めた。
1 心電図から読めていたこと
II・III・aVF の ST 上昇 → 下壁 STEMI 。I・aVL の ST 低下 → 対側性変化 。ST 上昇が本物であることを裏づけています。 責任血管は右冠動脈(RCA) が最も可能性が高い。 そして、来院時から2つの伏線がありました。 ・脈拍 52/分の徐脈 … RCA は洞結節・房室結節を養うため、下壁梗塞では徐脈・房室ブロックを伴いやすい(第5章) ・血圧 104/68 とやや低め … 強い胸痛のわりに昇圧していない
2 なぜニトロで血圧が落ちたのか
下壁 STEMI では、右室梗塞の合併 を常に考えなければなりません。RCA 近位部が閉塞すると右室枝も巻き込まれるためです。 右室が障害されると、右室は受け取った血液を肺へ押し出す力を失い、前負荷(静脈還流量)に依存 するようになります。 ニトログリセリンは静脈を拡張して前負荷を下げる薬 です。前負荷に依存している心臓からその前負荷を奪えば、左室に届く血液が減り、心拍出量が急落 します。 身体所見を取り直せば、頸静脈怒張があるのに肺野は清明 という右室梗塞に特徴的な組み合わせが確認できるはずです。確認すべきだった検査:V3R・V4R の右側胸部誘導。 V4R で ST 上昇 ≥ 1 mm があれば右室梗塞と診断できました。
3 今すべきこと
① 硝酸薬を中止する。 追加投与は絶対に行わない。
② 細胞外液を急速輸液する。 生理食塩水などで前負荷を回復させる。多くはこれで血圧が戻ります。
③ V3R・V4R を記録する。 右室梗塞の確認。
④ 再灌流療法を最優先で進める。 循環器へ緊急連絡し、PCI が可能な体制へ。根本治療は輸液ではなく
閉塞した RCA を開けること です。
⑤ 徐脈・房室ブロックの監視。 下壁梗塞では房室ブロックを合併しやすい。ただし多くは房室結節レベルで
アトロピンが効きやすく一過性 (第5章)。
⑥ モルヒネ・利尿薬も慎重に。 いずれも前負荷を下げうるため、右室梗塞では同じ危険があります。
✅ 下壁 STEMI + 右室梗塞。硝酸薬による前負荷低下で血圧が破綻した。 下壁 ST 上昇を見たら、ニトロを出す前に V3R・V4R と頸静脈 を確認する。治療は輸液で前負荷を保ちつつ、最優先で再灌流 。「胸痛だからニトロ」という反射が最も危険になる場面。
この章の要点
虚血の心電図は動く。1枚で決まらなければ15〜30分後に再検 する。
ST は J 点 で測り、隣り合う2誘導以上 で評価。V2・V3 だけ基準が厳しい。
ST 上昇の誘導が責任血管を教える:II・III・aVF=RCA(約8割)または LCX、V1〜V4=LAD、I・aVL・V5・V6=LCX 。
対側性変化があれば本物らしい 。びまん性で対側性変化がなければ心膜炎・早期再分極を考える。
ST が上がらない虚血:後壁梗塞・de Winter T 波・Wellens 症候群・LBBB に隠れる梗塞 。V1〜V3 の ST 低下+高い R 波 を見たら V7〜V9 を追加し、後壁 STEMI を探す。
下壁 STEMI では必ず V3R・V4R 。右室梗塞なら硝酸薬・利尿薬・モルヒネが危険 、治療は輸液。
aVR の ST 上昇+広範な ST 低下は左主幹部・多枝病変 を示唆する重症サイン。ただし特異的ではなく 、頻脈・貧血・低酸素・ショックによる心内膜下虚血でも起こる。
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免責事項: 本コンテンツは医療従事者の学習・参考を目的としたものであり、医療機器ではありません。記載の数値・基準・薬剤の扱いは一般的な目安であり、実際の診療は各施設のプロトコルと患者の病態に従ってください。診断・治療の最終判断は必ず担当医師が行ってください。